大阪に住むようになって7年、
大阪人という言葉は確かにあるんやなって思うようになってきた。
大阪で生まれ育った人達には大阪人としての自覚があるようである。
そしてその意識は少なからず東京への対抗意識へと向かっているようだ。
一方その東京だが、東京の人という意識はあっても東京人という意識は希薄らしい。
だから何処かへの対抗心は生まれないのかな。
それに、あまりに隣人同士で殺し合いをし過ぎて大変な街だ。
ガメラ2だったかな、脚本も制作も東京の人達が手掛けているのだが、東京の街を壊しまくるのだ。渋谷や議事堂、新宿や原宿どんどん壊れてゆく。その姿は、自分の住む東京シティーへの憎悪とも取れる破壊ぶりである。いや、エンターテイメントに対して考え過ぎだ、こりゃ。
う~んでも、ゴジラも南海大決戦で大阪城を壊したけどあれも東京の人らが作った話やし、きっと大阪の人が作ったら大阪城を壊すようなことしなかったかも。俺は広島出身だけど、やはり原爆ドームを壊したり広島城や街を破壊するなんて気持にはならないなぁ。
今何故東京や大阪かと言うと、つくづく変わらないものは変わらない、と思うことがあるから。
此の辺の件は黒澤明の『悪い奴ほど良く眠る』を観れば良く分かりま。
まんまと防衛庁から防衛省に名前を変えた彼等、核を欲しがる彼等、やがて高速道路は無料になりますなんて言うてた彼等、受信料を法的手段に訴えるNHKの彼等、利権の傍にいる彼等、彼等。
でも、彼等って言っても、確実な彼等は何処にも存在しない。責任を追求していくと結果、我々市民に責任がある、というのが、この国のネジまがった民主主義なんだから。プラカード持って拡声器を持って拳を振り上げていたデモ隊も、それを知ったが最後、近くの居酒屋で悪口を言うてオシマイって寸法なんだから。
政治家が変わったってどうにかなるもんじゃない。やがてまんまと憲法も改正されてアメリカの戦争に普通についていって海外で戦争して徴兵制も復活して消費税も上がって、福祉は切り上げ、老人は孤独死、若いホームレスも随分増えるだろう。
俺もみんな知ってる未来。もうみんな予感してる。全部分かってるけど、だからどうしたらいいんだろう。そんな事考えてたら、大阪人がとても愛しくなったのだ。どんなに東京に対抗したって、声を張り上げたって、東京の人は東京に住んでる人であって東京人って訳じゃないから、何か言ってるネ、くらいのもん。
で、押しても突いてもウンともスンとも言ってくれない。
これは風車に挑むドンキホーテとも云うべき愛すべき姿だ。
この国にもそんな姿があると思うだけでも嬉しいもんだ。
話は変わるのだ。
いい音楽を爆音で聴くと踊り狂いたくなる。
それを抑えようとする理性、それを解き放つ時に社会参加してるなあ俺って思う。これ変やろかなあ。
ニート対策で色々やってるけど一人一メディアの時代で社会参加しなさいという方が無理があるよ。部屋の中にハードさえあれば所詮ネットと言うなかれ、十分個人の生活もコミュニケーションも整う。抑圧された喜怒哀楽が何処にいっちゃったのか自覚してさえすれば上手くバランスを保って暮らせるのが21世紀かもです。
それが音楽だったりダンスだったり。例えば変拍子なんて踊りにくくて仕方ないけど、その中でリズムの規則性を見つけて何とか自分なりのアプローチで踊る努力というのは立派な社会参加、いや自立やと思うのでR。
大阪人という言葉は確かにあるんやなって思うようになってきた。
大阪で生まれ育った人達には大阪人としての自覚があるようである。
そしてその意識は少なからず東京への対抗意識へと向かっているようだ。
一方その東京だが、東京の人という意識はあっても東京人という意識は希薄らしい。
だから何処かへの対抗心は生まれないのかな。
それに、あまりに隣人同士で殺し合いをし過ぎて大変な街だ。
ガメラ2だったかな、脚本も制作も東京の人達が手掛けているのだが、東京の街を壊しまくるのだ。渋谷や議事堂、新宿や原宿どんどん壊れてゆく。その姿は、自分の住む東京シティーへの憎悪とも取れる破壊ぶりである。いや、エンターテイメントに対して考え過ぎだ、こりゃ。
う~んでも、ゴジラも南海大決戦で大阪城を壊したけどあれも東京の人らが作った話やし、きっと大阪の人が作ったら大阪城を壊すようなことしなかったかも。俺は広島出身だけど、やはり原爆ドームを壊したり広島城や街を破壊するなんて気持にはならないなぁ。
今何故東京や大阪かと言うと、つくづく変わらないものは変わらない、と思うことがあるから。
此の辺の件は黒澤明の『悪い奴ほど良く眠る』を観れば良く分かりま。
まんまと防衛庁から防衛省に名前を変えた彼等、核を欲しがる彼等、やがて高速道路は無料になりますなんて言うてた彼等、受信料を法的手段に訴えるNHKの彼等、利権の傍にいる彼等、彼等。
でも、彼等って言っても、確実な彼等は何処にも存在しない。責任を追求していくと結果、我々市民に責任がある、というのが、この国のネジまがった民主主義なんだから。プラカード持って拡声器を持って拳を振り上げていたデモ隊も、それを知ったが最後、近くの居酒屋で悪口を言うてオシマイって寸法なんだから。
政治家が変わったってどうにかなるもんじゃない。やがてまんまと憲法も改正されてアメリカの戦争に普通についていって海外で戦争して徴兵制も復活して消費税も上がって、福祉は切り上げ、老人は孤独死、若いホームレスも随分増えるだろう。
俺もみんな知ってる未来。もうみんな予感してる。全部分かってるけど、だからどうしたらいいんだろう。そんな事考えてたら、大阪人がとても愛しくなったのだ。どんなに東京に対抗したって、声を張り上げたって、東京の人は東京に住んでる人であって東京人って訳じゃないから、何か言ってるネ、くらいのもん。
で、押しても突いてもウンともスンとも言ってくれない。
これは風車に挑むドンキホーテとも云うべき愛すべき姿だ。
この国にもそんな姿があると思うだけでも嬉しいもんだ。
話は変わるのだ。
いい音楽を爆音で聴くと踊り狂いたくなる。
それを抑えようとする理性、それを解き放つ時に社会参加してるなあ俺って思う。これ変やろかなあ。
ニート対策で色々やってるけど一人一メディアの時代で社会参加しなさいという方が無理があるよ。部屋の中にハードさえあれば所詮ネットと言うなかれ、十分個人の生活もコミュニケーションも整う。抑圧された喜怒哀楽が何処にいっちゃったのか自覚してさえすれば上手くバランスを保って暮らせるのが21世紀かもです。
それが音楽だったりダンスだったり。例えば変拍子なんて踊りにくくて仕方ないけど、その中でリズムの規則性を見つけて何とか自分なりのアプローチで踊る努力というのは立派な社会参加、いや自立やと思うのでR。